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これは大学職員として働いていたときの話ですね。転職してまもないころから「あれ?」という違和感がありました。
当時はこのように思っていました。
この人たちって、なぜこんなに言い訳をするのだろうか。同僚も上司も管理職も。誠実さが感じられない。この職場にいると、なんだか自分も恥ずかしくなる。もっとちゃんとした職場でまともな人たちと働きたい。というか、仕事ってそんなテキトーで良いもの?
こんなかんじ。
結局、丸7年で退職。ひとりで仕事をする道(独立)を選んだわけです。
では、どんな言い訳が“蔓延”していたのでしょうか?
職場で特に多かった言い訳とは?
時期が時期だけに、コロナを言い訳にすることがダントツでした。
具体的なエピソードを、2つほどご紹介しますね。
エピソード①:卒業式・入学式の自粛
卒業式や入学式は、学生とその親族からすれば、代替のきかない一大イベント。まさに“ハレの日”です。
ところが、前代未聞のコロナ感染拡大。
世の中の各種イベントが相次いで取りやめになるなか、大学としても苦渋の決断を余儀なくされ、自粛することとなりました。
「苦渋の決断を余儀なくされ…」なんて書くと、いかにもですが、やろうと思えばやれたのも事実。
当時の文科省からの通知(抜粋)をご覧ください。
学校の卒業式や入学式等については、かけがえのない行事であり、現時点で、政府として一律の自粛要請を行うものではありませんが、特に感染が発生している地域におきましては、学校の設置者において、実施方法の変更や延期などを含め、対応を検討していただくようお願いします。
【引用元】文部科学省「学校の卒業式・入学式等の開催に関する考え方について(令和2年2月25日時点)」
わかりやく要約すると、
卒業式や入学式は、かけがえのない行事です。政府として一律の自粛要請はしません。平常時とカタチは変われど、やる方向で検討してもらえるとありがたい。
…と僕はとらえたんですが。
この通知が来たのち、職員ミーティングが開かれました。
もともと保守的な人が多いということもあってか、大多数が「中止」の意見でした。
文科省より前述の通知が来たとはいえ、世間のイベントが軒並み取りやめになっているなか、この判断は致し方ないのかなと。自分自身、「実施」を提案しながらも、納得せざるをえない状況でした。
ところがです。
ミーティングが終わり、それぞれがデスクに戻る際に聞こえてきた声に愕然としたのです。
「いやー今回は、これでラクになるね」
「まぁ仕方ないよね、コロナすごいもん」
「感染者出たら地域から総バッシングだよ」
「そんなことになったら身がもたないね」
「コロナって、使えるな(一同爆笑)」
(あれ、ひょっとしてこの人たち、コロナを言い訳にして中止を押し通そうとしていたのだろうか?)
たしかに、大学運営の最前線に立つ職員にとって卒業式や入学式は、かなり手間のかかる行事です。
式典や謝恩会の準備、外部関係者への出席依頼、終了後の片付けにいたるまで、それはそれはタスクが山のようにある。
それはわかる。わかるけど、学生の気持ちはちょっとでも考えているのだろうか?
晴れて卒業を迎える4年生、入学を期待している新1年生に、どう説明すればいいのか?
もしかして、「コロナだから」で済ませようとでも思っているのか?
果たして、これに味をしめた一同は、事あるごとにコロナを言い訳に使うようになるのです。
エピソード②:入学定員の大幅な定員割れ
コロナの感染拡大により、大学入試における広報活動の在り方も変化しました。
従来は、お得意様の高校への訪問活動やオープンキャンパスを中心に、高校生や高校教員との対面での広報が一般的でした。
しかしながら、接触するコミュニケーションの機会が壊滅的となり、オンラインを使った広報活動にシフトせざるをえない状況に。
まさに探り探り。見通しがつかないなかでの入試となったのです。
結果から言うと、入学定員に対して大幅な定員割れとなりました。
この結果をうけ、聞こえてくるのは「コロナがなぁ…」。
また始まった、と。まぁ、そう言うとは思っていたけど。
何が腹立つかって、大幅な定員割れは、実は今に始まった話ではないんです。直近10年以上は同じような状況が続いているわけです。
そのうえ、絶対に忘れてはならないのが、コロナ禍で大変な思いをしているのは、我々だけではないということ。他大学も同じ状況ですから。
決して言い訳にはならないんです。ただ、それを押し通す空気づくりがまたうまいんだよなぁ…。
…と、エピソードを書いていると、キリがありません。こんなもんじゃないんですが、今回はこのへんでやめさせてもらいます。
言い訳の多い職場がイヤな理由とは?
さて、なぜ言い訳の多い職場がイヤなのか、です。
◆本質的な議論にならないから。
◆自分本位で仕事をしているから。
この2点です。詳しく説明していきます。
本質的な議論にならないのがイヤ
【エピソード②:入学定員の大幅な定員割れ】を例にとりましょう。
結局、大学の職員たちの間では、定員割れを起こした原因=コロナ禍にしてしまってるんです。
きっと本人たちも、別に原因があることはわかっているはず。でもそれは認めたくない。
なぜなら、コロナ禍に原因を求めたほうがラクだから。
定員割れの原因追究がカンタンではないことを自分たちが一番わかっているからこそ、ラクなほうに逃げるわけです。
そんなことを何年も続けてきているから、変わらないのです。
そういう職場の体質こそが、本質的な議論にならない最大の理由であり、職場が言い訳がましくなる最大の要因だと思うんですよね。
自分本位で仕事をするのがイヤ
「言い訳」を辞書で調べると、「自分の言動を正当化するために事情を説明すること」と出てきます。
前述した【エピソード①:卒業式・入学式の自粛】でいえば、「卒業式・入学式は中止にします!」という主張を正当化するための事情として、コロナを用いたわけです。
何が言いたいのかというと、言い訳ありきなのがイヤなんです。言い訳を前提に話を進めて主張を通そうとする自分本位なところが。
学生のことを真剣に考えることができる人たちであれば、まず卒業式も入学式も実施の方向で議論を進めていくはず。
そのうえで、足かせになる部分をどうやってつぶしていくか試行錯誤する流れになるものではないでしょうか。
自分たちが「どうしたいか」ではなく、学生は「どうしたいだろう」から考えていくのが仕事なんじゃないかと。
こういうユーザーファーストではない環境が、個人的には耐えられないくらいキライです。
言い訳ばかりの職場=退職のきっかけにもなる
というわけで、話を進めてまいりましたが、いかがだったでしょうか。
僕自身、大学職員を退職した理由のひとつが、これだったわけです。
言い訳がましい人が、周囲に一人二人という世界ならまだしも。職場全体が言い訳に汚染されているような環境でしたから、選択肢としては「環境を変える」の一択でした。
もし同じような状況・価値観の方がいたら、ぜひいっしょに仕事したいなぁ…なんて思いながら、この記事を書きました(笑)
まぁ、それは冗談としても、似たような状況で「退職」がアタマをよぎっている方がいれば、ぜひ失敗しない転職活動の進め方とは?(STEP1:自己分析編)の記事をご覧になってみてください。
この記事を読むことで、いまあなたが転職すべきか否かを判断する材料になりますので。
ではまた。
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